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京都怨霊絵巻 〜御霊神社その1〜
コロたま!Vol.018 ぞぞっ…! 世にも恐ろし御霊神社

お陰様で、いまや全国一有名&人気の観光地と云われる京都
「京都ってホントいいとこですね、羨ましいわ」って他府県の人に言われたら、そりゃあ地元人としては正直、嬉しいもんどす。

綺麗な舞妓さんが石畳をしゃなりしゃなり歩いている姿を垣間見て、由緒正しいお寺や神社を巡り、美味しい和菓子と抹茶をいただいて、豆腐と京野菜の京料理に舌鼓。京みやげに友達に頼まれていた「よーじや」のあぶらとりがみを買って、八ッ橋を持っておうちに帰る。これ、一般的な京都観光やんな。

でもな、その反面、それだけが京都とちゃうねんで。きらびやかで華やかの裏には、おどろおどろしいモノが潜んでる。
歴史の長い京都には多くの怨霊が存在し、それらを鎮める祠もまた数多い。全国一の観光地は、実は全国一の怨霊の地。京都人は怨霊と仲良く(?)暮らしていると言っても過言ではないのだ。

唖然 ようこそ。怨霊、もとい御霊神社へ ×××
前回の『通り名』でも記述した「応仁の乱」の舞台でもあり、平安京の鬼門(東北)に位置する御霊神社
南に下御霊神社がある為、俗称“上御霊神社”とも呼ばれているここは、実は怨霊の神々が祀られているという、おっそろしい神社なんである。

御霊さんの外観

“御霊”という字は怨霊おんりょうとも読めるやろ?

御霊神社には「八所御霊」と呼ばれる八霊が祀られていて、そのうちの一人が、桓武天皇の同母弟で皇太子でもあった崇道(すどう)天皇。
でも歴代の天皇に“崇道”という名の天皇はいーひん。
じゃあなんで、崇道天皇と呼ばれてンのん???

撃沈 怨霊天皇、大暴れ ×××
延暦3(784)年、桓武天皇は長岡へ都を遷した。その翌年、長岡京造宮司であった藤原種継が暗殺され、種継と敵対していた早良親王(さわらのしんのう)が暗殺事件の首謀者と見なされた。
身分を剥奪された上に乙訓寺に幽閉、淡路へ流されることになった親王は、食を断つことで、自らの無実を訴え続けた。そして淡路へ移送する途中、憤死。早良親王の遺体はそのまま淡路へと葬られた。

それから、長岡京は廃都と化していく。
まずは、桓武天皇の妃、母、皇后が次々と他界。さらには桓武天皇の長男、早良親王の後、皇太子となった安殿親王(後の平城天皇)の病気が長びく始末。都は災害や大飢饉、天然痘が大流行。

「早良祟る」。連続する天変地異、天皇の周辺に連続して起こる近親者の死。
桓武天皇は恐れを成して、剥奪した位を復すが、そんなもんが効くわけも無く、怨霊から逃げるように長岡京から平安京に遷都したらしいが、それでも祟りは治まらない。
そして、延暦19(800)年7月。ついに桓武天皇は早良親王に「崇道天皇」の諡号を贈ったのだった。

そう。御霊神社はもともと、早良親王の御霊を鎮め、慰撫するため桓武天皇の勅願で造られた社なんである。

仏教界においては重鎮、広く人望があったと云われた早良親王。
父、光仁天皇に推されて皇太子にしたものの、桓武天皇は自分の息子を皇太子にしたかったんでは? 冤罪にするくらい、彼を畏れていたんかも。実の弟って微妙〜…やもんなぁ…。。。でもまさか死んでから逆襲を受けるとは… たらーっ
まあ、歴史上こういうことはよくある話やねんけどね。
“歴史は繰り返す”って言葉は、単に学習能力がないという意味とちゃうのん?

そんな悲しい云われのある崇道天皇を始め、ここには他にも似たような理由で非業の死を遂げた人達が祀られている。それが前述の「八所御霊」。そしてこれは、下御霊神社とも深く関わるんであるが、それは次回ブログにでも。

それにしても、な〜んか上御霊神社の前通るたんびに、うらぶれたちゅーか、鬱蒼とした神社があるなぁとは思ってたけど、そういう云われがあったとは…。なんとな〜く納得してしまった。 (@まけ)

次回の『怨霊絵巻』はコチラ>>

御霊神社へのアクセス
【住 所】京都市上京区上御霊通烏丸東入ル 上御霊4
【電 話】075-441-2260
【拝 観】6:00〜日没まで。境内自由
【交 通】地下鉄烏丸線「鞍馬口」下車 徒歩4分
     京都バス45系統「烏丸鞍馬口」下車 徒歩4分

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京の通り名〜東西編 その5〜
¥?コロま!Vol.017 応仁の乱! 西陣vs東陣

室町時代(1467〜1477年)に、京都の街を舞台に東軍と西軍の争いが勃発。
これがかの有名な「応仁の乱」
このお陰で京都は焼け野原となり、天皇をはじめとした貴族は戦乱を逃れて避難。
そこから戦国時代へと発展していくことになったので、
結局、軍配がどっちに上がったかなんてのは曖昧。
そう、西陣という名前は、西軍の本陣がおかれたことから、
そう呼ばれるようになり、今に至るというワケ。

浄福・千本・はては“西陣”
はっきりとした町名・地名はなくとも、
「ニシジン、ドコデスカ ピピピ ?」って聞けば、
「ああ、このへんのことや〜」と
京のお人なら大体の場所がわかるんだな。

では「東陣」は?
現在の烏丸通りを東に入り、鞍馬口通を少し下がった所に「御霊(ごりょう)神社」がある。寺町丸太町を下がったところにある下御霊神社と区別して、「上御霊神社」と呼ばれることの方が多いかも。実はここがかつての東陣にあたるのだ。

ひっそりとした場所にあるこの上御霊神社では、
毎月18日「囀市(さえずりいち)」という小さな縁日がある。

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こわ〜い文字で書かれた囀市の看板。何故…?

また、5月18日は、平安貴族の装束を纏った数百人の行列が都大路を練り歩く結構な規模のお祭りがあるのだ。
「御霊祭り」と呼ばれ、葵祭ほど有名やないけど、祭礼として都で最古のものといわれる由緒正しいお祭り。賀茂川の上賀茂賀橋から荒神橋まで悪霊退散を祈願しながら歩くというもので、当日は大人用三基と子供用二基の御輿が担がれ、かなり賑やかなお祭りとなるんデス。

そして、前述の「怨霊退散 おばけ 銃 」という言葉で察しもつくやろうけど、この御霊神社には、身の毛もよだつ恐ろしい云われがあるんよ 冷や汗
「応仁の乱」が起こったのは偶然ではないのかも知れへん…。

それは次回にでも、とくとお話いたしやしょうかね。
@まけの本領発揮!ってトコやね。再見! (@まけ)。

 余談ですが、今日は葵祭です。
 晴れになって本当によかったですネ おてんき

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京の通り名〜東西編 その4〜
コロたま!Vol.016 車が来てもあけへん門っ!

京都の道はホンマに不思議というか、厄介な道が多い。例えば、祇園の“縄手通”。あれは四条通より南はその名前を変えて“大和大路通”になる。なんでそんな風になったんかは知らんけども、このように、同じ道やのに名前が違う通りが結構ある。ややこしいことです。

そのうちのひとつ“車屋町通”。この通りも前回で記したように、秀吉が開通した道やねんけども、昔は“車借”の業者がこの通り沿いに、ぎょうさん いはったことから、この名がついたらしい 自動車 。御所の南、丸太町通から始まり、御池通でいきなり消える、非常に短い通りやねんなぁと思とったけども。

ところがどっこい。実はこの道、名前を変えて“松原通”辺りから、またふいに現れるんや おばけ 。その名も“不明門通”。『不明門』と書いて『あけず』と読み、あけずどおりと言う。別名“あけずのもん”。難しい字やなぁ〜…。
なんでこんな名前がついたかというと、松原通をちょっと上がったトコにある因幡薬師堂(平等寺)の南門が常に閉じられていたことからこの名がついたらしい。

なーんや、意外に普通の理由なんや。ちょっと拍子抜け。
私はまた風水学的なことか陰陽道的なことかと期待(?)してしもた。

またこの道は“因幡堂突破通”という異名も持つ。
これなんて読むと思う?

『いなばどうつきぬけとおり』
ってゆーねん。読めるかっちゅーのっ!
開かへんのか突き抜けてんのか、はっきりせぇへん道やなぁ。

ちなみに余談やけど。
現在、この因幡薬師堂、毎月8日は「てづくり市」があります。
え? ってことは、もしや今日?
おおっ!凄い偶然っ! ブログとちょうど重なったやん。

というわけで、この、あけずのもん。今はちゃーんと、
あいてるもんっ! (@まけ)

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京の通り名 〜東西編 その3〜
コロたま!Vol.015 秀吉の都市改造プロジェクトX

御所の東側に面してる寺町通
現在では、京都一の電気屋街として有名な道やけども、なーんで“寺町”なんかつーと、豊臣秀吉の都市改造計画のせい。洛中の浄土宗・日蓮宗・時宗の寺を、この通りの東側に強制移転させたことから“寺町通”と呼ばれるように。江戸時代には寺町通沿いに、実に117もの寺院があったそうな。
なんで、寺ばっかり集めたんや?

その隣の御幸町通
これも都市改造の為だけに開通された通り。名前の由来は、天皇の御幸(ぎょうこう)があったからとも、秀吉が伏見城から御所に行く際、この通りを行列していったらしいからとも。

しっかし、今そんな道作ったら、『わざわざ、そんなことの為にウチらの税金使うな 怒り !』…って、我々庶民は本気になって怒りまっせ。

そんな畏れ多い謂われの御幸町通は、今やカフェやブティックが連なる若者たちのストリートに。秀吉が知ったら、そらびっくり仰天するやろな〜 びっくり

富小路通も秀吉が作った道の一つ。
名前の由来こそ、藤原北家の流れをくむ「富小路」という華族のお屋敷がこの通りの北にあったらしいということからやけども、実際は秀吉の都市改造による混雑で名前が移転したんだとか。平安期までは東隣の“麩屋町通”が“富小路”やったらしい。なんで名前が逆転したんかは未だ理由がはっきりせーへんって、おいおい。

さらには、柳馬場、堺町、間之町、車屋町、烏丸…とまあ、こんな感じで、京都のほとんどの道が秀吉により開通・整備されていったとか。応仁・文明の乱などの戦乱で荒廃した道を甦らせていったりもしたらしいんやけども…うーん…。

こうして、秀吉は京の町を立て直していったのであった…云々。
とは言え、秀吉は命令しただけやろ?
「地上の 星 」はさぞ大変やったんやろうねぇ 工具 。 (@まけ)

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京の通り名〜東西編 その2〜
コロたま!Vol.014 京のお人はダジャレ好き

“通り名”ってのは、いわゆるニックネームなんだそうやけど、どう考えても“ダジャレ”やん。特に日本人は昔も今もダジャレ好きだというのが、よくわかるのがこの東西の道。ほとんどの名の由来が笑っちゃう程、カンタン、安直過ぎる たらーっ

複雑な由来の道もあるけれど、ぶっちゃけこんな感じ。

寺 町…寺がいっぱい集結していたから
御幸町…天皇が御幸(ぎょうこう)する道だから
麩屋町…お麩屋さんが沢山あったから
富小路…公家の富小路さんが住んではったから
柳馬場…織田信長が馬揃えをしはったことから
堺 町…当時賀茂川の河原と町の“境”目にあったから
高 倉…酒・油屋など『倉』に縁ある業者が軒を連ねたから
間之町…高倉通と東洞院通の間にできた通りだから
車屋町…車屋さんがいっぱいあったから
両替町…金融関係が連なっていたから
衣 棚…袈裟衣を作る着物屋さんが多かったから
新 町…新しい街並みができていったから
釜 座…釜をつくる鋳物屋さんが多かったから
日 暮…門が立派で日が暮れるくらい見とれてしまったから

ちなみにこの調子でいくと、油小路は“油屋さんがあったから〜?”と思うのは私だけではないハズ。でも残念ながらそれはそうやないみたい。はっきりとした由来はわからんらしい。

堀川を始め、西洞院や小川(当時はこかわといった)などの川の名前や、お寺の名前がそのまんま“通り名”となったケースも多いとはいえ…。それにしても、余りにもひねりが足りひんのとちゃいますか…? (@まけ)

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京の通り名〜東西編 その1〜
コロたま!Vol.013 寺御幸♪のわらべ唄

前回までは南北の通り名やったけど、今回からは東西の通り名を勉強しましょー 鉛筆
南北よりもマイナーとされている東西の通りの“わらべ唄”。江戸時代からあったらしけど、いつの間にやら忘れさられた縦の道。そこで、江戸時代の本をもとに、南北の通り名とおんなじ調子で作り直されたんだそうだ。
そんな、東西の通り名の歌詞は下記の通り。

  寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
 (てらごこふやとみやなぎさかい)
  高 間 東 車屋町
 (たかあいひがしくるまやちょう)
  烏 両 替 室 衣
 (からすりょうがえむろころも)
  新 町 釜座 西 小川
 (しんまちかまんざにしおがわ)
  油 醒ヶ井で 堀川の水
 (あぶらさめがいでほりかわのみず)
  葭屋 猪 黒 大宮へ
 (よしやいのくろおおみやへ)
  松 日暮に 智恵光院
 (まつひぐらしにちえこういん)
  浄福 千本 はては 西陣
 (じょうふくせんぼんはてはにしじん)

東から(御所の東の通りから)
 寺町→御幸町→麩屋町→ 富小路→柳馬場→堺町→
 高倉→間之町→東洞院→車屋町→
 烏丸→両替町→室町→衣棚通→
 新町→釜座→西洞院→小川通→
 油小路→醒ヶ井→堀川→
 葭屋町→猪熊→黒門→大宮→
 松屋町→日暮→智恵光院
 浄福寺→千本→西陣


そして、この東西の通りは、先に紹介した南北の通りよりも、京の歴史に非常に関わり深いものが多かったりする。織田信長や豊臣秀吉のゆかりの地やったり、伝統産業が栄えた職人の町やったり。きっと賑やかどしたんやろうなぁ。

次回からはその“名の通り”の通り名をじっくり追究して行きませう ジョギング 。 (@まけ)

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京の通り名〜南北編 その5〜
コロたま!Vol.012 新しい道、北大路・北山通

さあ、おまたせ(?)いたしました。前回の続きですよ。京都の道を語るなら欠かせない“北大路”“北山通”やけども。
 
現在の“北大路”は第二次世界大戦前の都市計画によるもの。それまでは、堀川にある“一条戻り橋”で有名な現在の“一条通(平安京では一条大路)”が「北大路」と呼ばれていたらしい。当時、この通りは東は烏丸通から西は右京区の宇多野まであり、周山街道へと続いていたらしい。
 この編の由来も、ちょっと面白いみたいやけどねぇ。あまりにもマニアックすぎてしまうので、機会があれば…。

今やカフェ ラテ やブティックが連なり、京都のオシャレな街として若者に人気の高い“北山通”に至っては、あんな風になったのは、ごくごく最近。
 修学院まで開通したのが昭和60年って、ホンマについこないだやん。昔は“十二軒通”と呼ばれてたらしく、畑など農地の広がる郊外地だったという…っていうか、
 今でもそうやけど…???

東方面の松ヶ崎や玄以通より北の辺りはホンマに見事に“田舎町”やん(住んでる人いたらゴメンナサイ)。北山通から南は、大きなお屋敷がたくさんあるとはいえ、普通の住宅街やもん おうち

疎水や小川も流れてて、子供の頃は夏休みによく植物採集なんかしましたよ おはな 。男の子なんか昆虫採集してたし。今でも夏に夜歩くと田んぼでウシガエルくんが「モーモー」鳴いてますんやで。そうゆーの、知りゃしませんやろ イヒヒ
 いわゆる、皆の知っているあの“北山通”は植物園周辺のほんの一部のみの話。私から見れば“オシャレ”などという言葉は皆無やねんけどなぁ。

山があって小川があって、草が茂って、季節ごとの花が咲いて、作物が実って、夏には蛍が飛び、秋には虫が鳴く。そういう意味では、今でも自然がいっぱいの素晴らしい場所やねんけどね。
(@まけ)
 
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京の通り名〜南北編 その4〜
コロたま!Vol.011 明治以前の通り名

  鞍 や 寺 上立 五つ 今 元
 (くらやてらかみだちいつついまやもと)
  武 一 中立 長者三通り
 (むいちなかだちちょうじゃさんどおり)
  出水 下 椹木
 (でみずしもさわらぎ)
  丸 竹 夷 二 押 御池
 (まるたけえべすにおしおいけ)
  姉 三 六角 蛸 錦
 (あねさんろっかくたこにしき)
  四条 綾 仏 高辻や 松 万寿に
 (しあやぶったかまつまんじゅに)
  五条 雪駄屋 魚の棚
 (ごじょうせったやうおのたな)
  珠数二筋 万年寺
 (じゅずにすじまんねんじ)
  七条 越えて 通り道なし
 (ひちじょうこえてとおりみちなし)

北から
 鞍馬口→寺之内→上立売→五辻→今出川→元誓願寺→
 武者小路→一条→中立売→上長者町→中長者町→
 下長者町→出水→下立売→椹木町→
 丸太町→竹屋町→夷川→二条→押小路→御池→
 姉小路→三条→六角→蛸薬師→錦小路→
 四条→綾小路→仏光寺→高辻→松原→万寿寺→
 五条→雪駄屋→魚の棚→
 上珠数屋町→下珠数屋町→万年寺→七条通


いきなりなんやねん! ってハナシやね。

先に紹介したのは“丸太町通”からの歌詞しかなかったわけやけど、なんで“今出川”とか御所より北の道がないねんって思う人もいたハズ。
 ちゃんとありまっせ〜。知らない人の方が多いやろうけど、“鞍馬口通”から南へ行く唄が! イヒヒ
 明治以前から唄われてたみたいやけど、今でも北の方は大体、このままの道やん。じゃあ、なんで現在でもここの部分、唄わへんのやろうね? 語呂あわせがイマイチで、唄いにくいから消したんやろか?

でもこれやったら、さらに北にある北大路や北山通がないやん! あれかって立派な京の道以外の何モンでもないのにっ! …って思う方。

それはですねぇ…。

…長くなるから、また次の『コロたま!』にでも 楽しい
(@まけ)

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京の通り名〜南北編 その3〜
コロたま!Vol.010 変わりゆく通り名
 “あれ?『魚の棚』と『三哲』ってドコ?”とお気づきの方。現在、『六条通』と呼ばれているのが、昔の“魚の棚”です。地元の人は“うおんたな”と呼びます。現在“魚の棚”はありません。
 “三哲”も現在は『塩小路通』という名前に変わってます。通り名はなくなっても“三哲”というバス停は、下京総合庁舎の近くに今もあります 路線バス。今でも、地元の人は“塩小路”ではなく、“三哲通り”って言うのかもしれへんね。
 ちなみに、とどめの『東寺』は東寺道を指すのか、東寺のお寺自体を指すのかは曖昧だそうで…。

ちなみに先に紹介した歌詞
  六条 三哲 通りすぎ
  七条 こえれば 八 九条
  十条 東寺 でとどめさす


…が、現在では改訂されて、こう唄われていたりもする。
  六条 七条 通りすぎ
  八条 こえれば 東寺道
  九条大路 でとどめさす


 どうやら、この後半部分は明治時代以降に作られたものと思われるらしい。「京の通り名の歌−都の歳事記とわらべ歌−」などのCD CD に収録されているのも、こちらの歌詞のようなので、正確な道を覚えるには、この新しいバージョンを覚えることをオススメします。でもやっぱり私は、改訂される前の唄の方がなんとなく、京都らしくて、しっくりするんやけどねぇ。 (@まけ)

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京の通り名 〜南北編 その2〜
コロたま!Vol.009 雪駄ちゃらちゃら♪
本題に入る前に「雪駄ちゃらちゃら」とはなんぞや?
 結論から言うと、粋な雪駄の歩き方やそうで、雪駄の底にあるチャラガネ(正式名:尻金)の音らしい。

「雪駄(せった・せきだ)」とは畳表の草履の裏に獣の皮をつけた履き物で、千利休が雪中で用いたのが始まり。のちに皮の裏に金物、いわゆる“チャラガネ”を打ち付けたものを指しております。

元は江戸時代、侠客や江戸町奉行所の同心が履いていたらしく、チャラチャラ音を鳴らして歩く、というのが習わしのようなものだったらしい。それが、江戸っ子の心を捉え、一気に広まったそうな。が、このチャラガネ。よく滑るらしく、どんなに雪駄に慣れていても気を抜くと足元をすくわれる、実に厄介なモンらしいです。

でも! それを履いて歩くってぇのが、“粋”ってもんよ。ズルズル引きずったり、ペタペタ歩くのは野暮ってモンさ。

カーッ! てれちゃう 男の世界ってぇのは、バンカラでいいねぇ〜。

たらーっ さて、本題。「あねさんろっかく…」ときて、「雪駄ちゃらちゃら」ってなんやねん、と思ってる人は私だけではないハズ。唄の調子に合わせてるだけなんかいな? と勝手に解釈してたけど、ちゃいましてん。

雪駄は『雪駄屋町通』のことで、その名はすでになく、現在の『楊梅通』こと。そして、韻を踏んでるだけやと思っていた「ちゃらちゃら」にもちゃーんと通り名があったんやねぇ!

一つ目の「ちゃら」は『鍵屋町通』。この通りはホンマ短いけど、現在もちゃーんとあるんよ。地図で確認したい方は烏丸通を「東本願寺」まで下がってみよし 見る。そのすこ〜し北側に、中学校の南側に面してる道があるんやけど、そう! その道が『ちゃら』!

二つ目の「ちゃら」は『銭屋町通』。唄の通りに行けば、一本南の道になるやろうけど、実はこの道も『的場通』という名前に変わっちゃってるんやね。なんでや?

これは私の憶測なんやけども「ちゃらちゃら」というのは、鍵や銭が「ちゃらちゃら」鳴るという擬音とかけてるんでは? と思ってるんやけど…。果たしてどうなんやろうね? (@まけ)

※このブログは06.04.13に一部修正しています。

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