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京都怨霊絵巻 〜白峯神宮その1〜
コロたま!Vol.021 嫌われ璋子の一生

前回ブログでも紹介された、知る人ぞ知る「球技の神様」として祀られている“白峯神宮”。ドイツW杯も始まったことで、特に京都にいるサッカーファンは白峯神社に行って、ジーコ・ジャパンの勝利を熱く強く願っているやないかいな。

で、なんで怨霊? 呪いの球でも奉納されてんの? いやいや、それならそれでオモロイけど、そうではありません。
ここには、“御霊神社”よりも有名な怨霊伝説が残されておるのじゃ。

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撮影日、突然の大雨に見舞われた。怨霊の涙なのか…。

唖然 愛と憎しみの怨霊伝説誕生 ×××
鳥羽天皇の第一皇子と云われる「崇徳天皇」。でも、彼は父である鳥羽天皇にはとても忌み嫌われていた。なんでや?
一説によると鳥羽天皇の祖父、白河法皇と彼が後に鳥羽天皇に与えた待賢門院との間に出来た子であった為らしい。つまりは崇徳天皇は鳥羽天皇の子ではなく、叔父にあたるってワケやね。なので鳥羽天皇は崇徳天皇のことを“叔父子(おじご)”と呼んでいたのです。

「美男子と誉れ高い藤原公実を父に持つのだから、きっと美しい娘だわ」ということで、白河上皇の寵姫・祇園女御は生まれたばかりの藤原璋子(しょうし・後の待賢門院)を養女にした。養父となった白河上皇も、それはそれは異常なまでに璋子を可愛がったそうな。いつしか親子どころか孫ほど歳が離れている璋子に対して、情欲 ときめき を持っていたらしい。

そんな白河上皇の偏愛をよそに、璋子は美しい娘へと成長していきました…と言えば聞こえはいいけど、結構たまこちゃん、あばずれやったらしい。
アッチの男 OK 、コッチの男 OKと密通してたりとか。一度、その素行の悪さのせいで「こんな乱れた女は嫌じゃー! ショック 」と、なんと11歳の時に縁談がぶちこわしになっているらしい 失恋

可愛い璋子の行く末を心配した白河上皇は、孫の鳥羽天皇に入内させ、中宮にまでなるが、その後も二人のただならぬ肉体関係は続き…。
うぇ。ぎもぢわるぃ…。

よーするに、白河のエロじじぃ…もとい、じーちゃんは自分の娘と孫を結婚させたものの手放せず、結果、自分の子供を孕ませた。鳥羽天皇の子供と偽っていたけど、白河の子であることは周りの人達や鳥羽天皇にはあまりにも明白。
そりゃバレるちゅーの 悲しい
鳥羽天皇にしてみれば、結婚する前から今までずーっと、祖父と妻に裏切り続けられてきたワケやから…。ゲロゲロ、確かにそれはイヤやなぁ…。。。
その上、白河法皇の力で鳥羽天皇は譲位させられ、崇徳天皇は五歳で皇位につく。これは鳥羽天皇にしたら非常に面白くない話。

そう、崇徳天皇の悲劇はもうすでに始まっていたのだ。

その後、白河天皇崩御により、大きな後ろ盾をなくした待賢門院となった璋子。祖父に成り代わって実権を握った鳥羽天皇の仕打ちにより、彼女はどんどん不幸に堕ちてゆく…。そりゃそうだろうよ。しょうがないよ。

そしてそれは同時に、崇徳天皇の地獄への扉が開いた瞬間でもあった…。

前回の『怨霊絵巻』はコチラ>>

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author:miu-miu2, category:@まけのコロたま!, 17:13
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