- 京都怨霊絵巻 〜六道珍皇寺その3〜
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2006.08.30 Wednesdayコロたま!Vol.028 小野 篁の『真夜中は別の顔』
人間としての小野 篁について語った前回ブログから、だいぶ時間が経過してしまったけど、実はここからが『怨霊絵巻・小野 篁編』の真髄(?)。
昼間は官僚として宮廷に仕え、夜は六道の辻にある井戸から夜ごと冥府に通い、閻魔王庁に仕え、閻魔王の腹心として裁判を手伝っていたと云われる冥官・小野 篁。
でも何故か帰りは六道の辻ではなく、嵯峨にある清涼寺横の薬師寺境内の井戸(生の六道)から、この世に戻って来たという。
なんで行きと帰りが違う場所なんかはともかく、 距離的に無理あらへん? 昼間は宮廷で働いて、夜中に六道の辻へ行って冥府へ行き、朝方に嵯峨から戻ってきて、都へ出仕。どうやって間に合ったんでしょうか?
六道珍皇寺にある『十界之図(じっかいのず)』。
篁が勤めていた冥府もここにある。
本当はここに六道の辻にある井戸をバーン!と大きく載せる予定やったんやけど、ツメが甘かった。お盆の間は閉鎖されているらしく、見られへんかってん。むっちゃ残念や〜。
恩は売っておくものですぞ ×××
学生の頃、とある罪を咎められてしまった小野 篁を弁護し助けた藤原良相(ふじわらのよしみ)。篁はこのことを非常に感謝していた。
何年か経って、篁は参議に良相は大臣になっていたが、良相は重病となり他界。
即行で閻魔王の使いがやってきて、良相は冥府へと連れて行かれ、裁判となった。良相が閻魔王宮にて王の方をふいに見ると、驚いたことに、王の傍らに篁がいるではないか。
篁は笏を取って、閻魔王に奏上した。
「閻魔様。この方は非常に親切で心優しい、素晴らしいお方です。今回の罪は、私、篁に免じて許していただけないでしょうか?」
すると閻魔王は、
「本来ならば非常に難しいことだが、篁がそれほどまでに言うのなら許してやろう」
と彼の頼みをアッサリ受け入れた(どこが難しいねん!)。
篁が「すぐにお返しろ」というと、鬼たちは良相を縛っていた縄を解いた。こうして九死に一生を得た良相は、この世に戻ってこられたのである。
その後、良相は病気も治り、内裏に出仕できるまでに回復。
ある日、良相は内裏で篁と居合わせた。ちょうど誰もいないので、篁にあの時のことを尋ねた。
「実は、危篤状態であった時に冥府へと連れて行かれたのだが、閻魔王の傍らに貴方がいるではないか。あれは一体どうことなのだ?」
それを聞いた篁は、
「あれは以前、貴方が私の弁護をしてくださった時のお礼をしただけのこと。このことは、決して人には話さないで下さい」
良相は驚くと同時に脅えてこのことは人には話さなかったが、篁が冥府の役人であることは自然と世間に広まり(どうやって?)、冥府へ通う得体の知れない人物として、人々は皆、篁を恐れたという。
鬼を従える小野 篁の像。
この隣りには閻魔大王像が。常に側近くに控えております。
* ただし、怨みを買うとこうなる。
また、篁が藤原高藤(ふじわらのたかふじ)に車の簾を切られるという事件が起こった。篁はそのことを高藤の祖父の冬嗣(ふゆつぐ)の家に行って事情を話していた。 すると高藤は急に意識を失ったのだ。篁が起こすと息を吹き返した高藤は、突然篁を拝みはじめ「気を失って閻魔の庁へ行ったら、 篁が閻魔の庁の第二の冥官として座っていた」と語ったという。
「コイツ、一回殺したろか」ってなもんでしょうか。
相手が篁サンでよかったけど普通はこうはイキマセン。
皆様、お互い言動には気をつけよーねっ!
『個性的』と言って下さい ×××
そもそもこんな伝説が残るようになったのは、彼が人から「野狂」と云われるほどの相当な変わり者であった為らしい。それだけ当時の気風に合わないお方やったようで。
それは自分でも解ってるらしく、同世代の詩人・惟良春道に送った「惟十四」という詩で、こんなこと言ってます。
『暗作野人天與性、自古狂官世呼名』
…なんやわからへ〜ん。もう少しわかりやすく言うと
「惟十四に酬ゆ」
暗(そら)に野人と作す 天の与へし性
狂官は古より世の呼びし名
内容は「皆、私のことを変人と陰口を叩いているみたいですが、それは天が私にお与えくださった性格なのですから仕方のないことなのです。『狂官』という呼名も、昔からのものなのです」
すっかり開き直ってんなぁ…っていうか逆に「おいしい」って思ってるんちゃう?アンタ、絶対A型ちゃうやろ〜。
〜 * 〜 * 〜 * 〜
小野 篁をもっと知りたい!
魅力的で個性的で美味しいキャラクター、小野 篁。当然、小説や漫画になってもおかしくないであろうと思いきや。
大人気シリーズ『少年陰陽師』で活躍中の結城光流さんが、書いてました。こちらも『篁破幻草子(たかむらはげんぞうし)』というシリーズものです。小野 篁を手っ取り早く知りたい人にはもってこいのライト・ノベルです。
篁破幻草子 六道の辻に鬼の哭く
結城 光流
おススメ度 ★★★★☆
人の身でありながら“冥府の官吏”でもある小野 篁は、凶星・破軍の星宿を持つ。 その魂を手に入れようと、当代の帝に憎悪をいだく異貌の鬼・朱焔とその配下・井上は、執拗に篁を狙う。さらに朱焔は、篁の最愛の妹にして、文曲星の魂を持つ楓を手中に収めようとしていた――。
破軍星(はぐんせい)も文曲星(もんごくせい)も中国での北斗七星の呼び名で、破軍星は変動の星で激変を司り、文曲星は学問・芸術を司るといいますが…。
こういう話、すっごい好きやなぁ。ちらっと読んだけど、なかなか面白いぞ。美形で宮廷のアイドルという設定も健在。幼馴染の橘融との掛け合いも笑えます。今のところ、『あだし野に眠るもの』『ちはやぶる神のめざめの』『宿命よりもなお深く』『六道の辻に鬼の哭く』の全四巻出てますが、次巻で早くもクライマックスだそうです。
〜 * 〜 * 〜 * 〜
余談ですが、上記の“あらすじ”に出てくる小野 篁の異母妹との悲恋は、結構有名な話で(この時代、異母兄妹の結婚は認められていた)、最愛の妹が亡くなってしまった時に詠んだ歌が古今集にもあります。それがこちら。
泣く涙 雨とふらなん わたり川
水まさりなば 帰りくるがに
(私の涙が雨となって降ってほしい。 三途の川の水嵩が増せば、妹はもう一度現世に帰ってこれるのに)
でもさー、藤原良相さんを蘇らせたんやから、妹やったら尚更出来たんとちゃうのん?
また閻魔様に頼めばよかったのにー。 (@まけ)
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● 関連ブログ記事
行ってきました、陶器まつり&六道まいり!(06.08.24)
すっかりミーハー気分♪ 篁サマと閻魔サマを拝んできました。
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- 京都怨霊絵巻 〜六道珍皇寺その2〜
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2006.08.03 Thursdayコロたま!Vol.027 天才・小野 篁の生活
「六道の辻」にある井戸を使って、この世とあの世を自由に往来し、昼間は人間界で官僚として宮廷に仕え、夜は冥界で閻魔大王の元に腹心として出仕。そんな二重生活を送っていたという不思議(奇妙?)な人物、小野 篁(おののたかむら)。
『誰、それ? 知らんわ』って?
うーん、でもこう言えば少しは興味が湧いてきぃひんか?
実は彼、聖徳太子の命令で遣わされたことで有名な遣隋使・小野妹子の子孫であり、三筆の一人と謳われる小野道風や世界三大美人の小野小町のお祖父ちゃんなのです。そう、小野家ってのは由緒正し〜いお家筋なのだ(謎も多いが)。
人間界での小野 篁 ×××
身長六尺二寸=約188cm(ほんまかいな)。乗馬、弓、剣術などの武芸に秀で、学問、特に漢詩の分野では『日本の白楽天』と称されるほどの才知の持ち主。33歳で遣唐副使に任命。晩年は参議に昇進し、左大弁とまでなる。
このお方が小野 篁サマ。結構な美丈夫です。
…と、彼は今で言うセレブ出身、見目麗しく、頭脳明晰、スポーツ万能、社会的地位も高いという、いわゆる「エエ男」なんやろうけど、相当な自由人で風変わりな御仁だったとか。さらには頭がいいのも善し悪しで、何かにつけて上司ともめ事を起こしてエライ目に遭ってたりもする。
子供の頃は、狩りに夢中で遊びほうけていて、あまり学問に関心がなかったという。父親の小野岑守が高名な学者だった為、嵯峨天皇が「岑守の息子ともあろう者が、一介の猟師で一生を終えようとするのか…」と嘆いたほどのバカ息子やったらしい。
この一言が引き金になったんかどうかはわからんけど、21歳の時、文章生の試験に及第、東宮学士を経て、ついには遣唐副使に。
怒られて〜、流されてェ〜♪ ×××
ところが、唐へ出発する際に船が難破して失敗。翌年も失敗。三度目は遣唐正使の藤原常嗣の乗船する船に欠陥が発見され、篁の乗ることになっていた船と大使の船とを交換せんかいとの命令が。これに篁は「ンなもん、出来るわけないやろ!」と反論(そりゃそだろ)。仮病をつかって乗船せず、職務放棄。その上、遣唐使のことを風刺した詩『西道謡(現存せず)』を作ったことにより、嵯峨上皇の怒りに触れ、隠岐へと流されたのだ(やりすぎやねん
)。その時に詠んだ歌がこちら。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣り舟
(私は今、遥か彼方の島に向かって海へと漕ぎ出した。
そう都の人には告げてくれ、海人の釣り舟よ)
意外にも、こんな身近なトコにいたんやな、この人…。
…実は『小倉百人一首』の第11番目の句である…。
こここ…? ねねね…? ×××
怒りにまかせて隠岐へ流したものの、篁の文才は非常に惜しいものだった。…てなワケでたった二年で宮廷に復帰した小野 篁。
嵯峨天皇に、そこまで思わせた彼が、いかに才知溢れる人であったかというエピソードがある。
* 無善悪
ある時、内裏に「無善悪」という落書きの札が何者かによって立てられた。嵯峨天皇は篁に読むようにと命じたが、
「読めることは読めますが、畏れ多いことが書かれてありますゆえ、申し上げることができません」
と言って読もうとしない。しかし天皇の命令で、やむを得ず
「さが(悪)なくてよからん=嵯峨天皇なんて居なくて良い」と解読。
嵯峨天皇が「誰も読めなかったのに読めたのは、お前が犯人だからだ。大体、こんな文をお前以外の誰が書けるのか」と言うと、
「帝が読めとおっしゃったから読んだまで。私はそんなことは書いてません。大体、私を罰すれば、この王朝から優秀な官吏はいなくなってしまいますよ」と自分が犯人でないことを堂々と主張(一度でいい、こんな風に言ってみたい)。
帝が「では、お前は何でも読めるのか」と言うと、 篁は「読めます」と答えた。そこで嵯峨天皇は
「子子子子子子子子子子子子」
を読めと命じた。篁は慌てず騒がず「ねこのここねこししのこのこじし(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)」と即座に読んだ。嵯峨天皇は驚いたものの、これを笑い、罪を咎めなかったという。
〜 * 〜 * 〜 * 〜
なんか「一休さん」みたいな、お人ですなぁ…面白い人や。友達になりたい。結局、嵯峨天皇はなんやかんや言っても、小野 篁のことを結構、気に入っとったんとちゃうかなー。
そんな彼が冥界へ自由に行ってたっちゅーんやから、どこまで面白い人物やねんっ。さて、もう一つの非日常的な小野 篁とは一体??? (@まけ)
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- 京都怨霊絵巻 〜六道珍皇寺その1〜
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2006.08.01 Tuesdayコロたま!Vol.026 冥界へ行こう!
京都では、毎年8月7〜10日、ようするにお盆の時期になると、“六道まいり”が行われる。「六道さん」の名で親しまれている“六道珍皇寺”は東山松原、清水道を西へ入ったところにあり、ここで鐘を撞き、迎え火の門火を焚いて、ご先祖様の霊をお迎えするのだ。
「六道まいり」が行われる“六道珍皇寺”。
毎年「ひぇ〜っ!?」ってなぐらいの行列ができる。
ちなみに“六道”とは仏教の世界観で『六道輪廻』のことで、人は死ぬと『地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上』の六つの世界のいずれかに生まれ、輪廻していくというもの。
名前からしてどこか不思議な字を持つこの寺こそが、実は冥界に一番近い場所とされるんやけど、果たしてなんでそう云われてるのか…?
現世と冥界の境目・六道の辻 ×××
平安時代、当時は火葬でも土葬でもなく風葬で、現在の祗園や円山公園、東山山麓は“鳥辺野”という名の葬送地で、名前の由来は『死体を木に吊るし、その死肉を鳥に喰わせる』というもの。
死体を野辺送りにする際に使った入口がここ“六道珍皇寺”のある“六道の辻”。人が亡くなったらここに運び、僧侶に引導を渡してもらう場所であった為に、ここは現世と冥界の境目、霊界への入口と云われるように。
冥界への入口、六道の辻。
ここに立って写真を撮れば、も、もしかして…?
そんな六道の辻にある冥界への入口を使って、昼間は人間界で宮廷に仕え、夜になると冥界へ行き閻魔大王の元に出仕。 この世とあの世の二重契約をやっていたと云われる人物がいた。その名も小野 篁(おののたかむら)。いかにも小説や漫画のキャラクターに出てきそうな人物、小野 篁とは一体??? それはまた次回のブログにて!
「ろくろちょう」は「どくろちょう」? ×××
「六道さん」のあるこの辺りの町名を“轆轤(ろくろ)町”といいます。清水焼きが盛んなこともあってこの名前がついた…と言いたいトコロやけど、江戸時代までは“髑髏(どくろ)町”と云われていたのだ。読んで字の如く、人骨がたくさん出てきたことからその名がつき、「どくろ」が訛って「ろくろ」と呼ばれるように。
他に“六波羅蜜寺”という有名なお寺が近くにあるけど、この辺りの地名は“六原(ろくはら)”。でも元々は“髑髏原(どくろはら)”と云われていたという説も。。。
よーするに、この地域一帯に死体がゴロゴロ転がっとったのだ。鴨川の川原も死体捨て場で、氾濫したら流されてプカプカ浮いとったとか。それが今や、いちゃつくカップルが等間隔で座る恋人達の聖地と化した。…世も末ぢゃ。
ドクロベェ様がいっぱい♪ ×××
@まけの母の実家は四条河原町にある。今でこそ色んなビルがぎょうさん建ってるけど、当時はまだ発展途上中で、ビルを建てる際にあの辺一帯の土地を掘り起こしていたんだそうな。そしたら、やっぱり出てきとったんやって。
何が? って「ガイコツ」が。
…ってことは某デパートや百貨店の下も? 某銀行の下も?
当時、子供やった母は珍しいのと面白いのとで、よく友達とガイコツを見に何度も工事現場まで遊びに行ったらしい(さすが@まけ母、もの好きな)。
『あっちゃこっちゃにゴロゴロ埋まってたんやで。頭とか割れてて、あんまり綺麗なガイコツはなかったんやけどな』
って…おーい。「おしおきだべぇ〜」ってバチあたるよ。
〜 * 〜 * 〜 * 〜
…てなワケで(?)お盆には、ご先祖さまが六道の辻を通ってコチラに帰ってくるけど、何も『ゾ○ビ』みたいに蘇るわけではないので、ご安心を。(@まけ)
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● 関連ブログ記事
行ってみたい8月の行事 〜六道まいりと陶器まつり
(2006.7.31)
“六道まいり”への交通などを載せてます。冥界の門“六道の辻”で、ご先祖様をお出迎え。ちょっと『小野 篁』気分に???
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- 大好き! バーバパパ その壱
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2006.06.30 Fridayコロたま!Vol.025 理想の旦那様
女たるもの、自分の“旦那様”にするには理想を掲げたい。年齢的に今更何を…とつっこまれそうやけど、ここまで来たならばと妥協を許してはならない(だから独り身なんやって?ほっとけ!)。
理想の“旦那様”像は恋人像と少し違う。恋人にするなら少し危険な香りがする男性がいいと思っても、生涯の伴侶となれば、そんなものはまず御免被りたい。
@まけの理想の旦那様(あくまでも理想!)とは
包容力があり普段は物静かでも決断力、判断力に優れている人。
炊事、洗濯などの家事はひと通りこなせる人。
子供達の育児や教育に熱心で、個々の才能を伸ばしてやれる人。
家族だけではなく身近な人に対して常に思いやりがある人。
何でも残さず、美味しそうにたくさん食べる人。
色々な趣味を持っていて、自分の世界をきちんと持っている人。
大らかでユニーク、一緒にいて楽しい人。心の豊かな人。
そして何よりも奥さんを大切にする人。
ああ、こんな男いるわけない。。。いるとすれば、それはすでに人ではない。そう、バーバーパパのようなオールマイティーな人なんて、いるわっきゃないっ。
ヴォルビックで手に入れたおまけの“癒しマスコット”。
左からパパ、ララ、ピカリ、ベル、ズー、ママ(バーバ略)。
ブラボー、リブ、モジャの三人がいない(作って〜)。
子供の頃、理想の父親像であったバーバパパは、今では理想の旦那様像だ。ようするに、子供の目から見ても「ママを大切にしているんだな」と一目瞭然でわかるということは、同時に家族を大事にしているということなんや。この歳になった今なら解る(…まあ、逆も然りなんやろうけど…)。
バーバパパはバーバママを大切にしている。だから、ママはパパを尊敬し、ついていくことが出来るのだ。『落花流水』という言葉そのままの二人。バーバパパとママは理想の両親である前に、理想の夫婦像なんである。そんな二人を見て育った子供達はなーんて幸せなんやろ。
パパとママは理想の夫婦。ママになりたい…。
そう母に言ったら
「別に相手が人間と違ごてもええやんか」
と言われた。うんまあ、この際、人間でもお化けでもどっちでもええよ、もう…(投げやり)。
だから神様。私にバーバパパをお与え下さい
。
…つづく…。 (@まけ)
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